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清和源氏の名門、小笠原氏の光を追う(6/4)催行報告

令和5年6月4日()に、「清和源氏の名門、小笠原氏の光を追う ~尾張・水戸徳川家と伊豆木小笠原家との交流~」が催行されました。
飯田市伊豆木にある小笠原資料館には、江戸時代、交代寄合の旗本1,000石の小旗本ながら、徳川御三家のうち、尾張徳川家(62万石)、水戸徳川家(35万石)の藩主から送られた約20点もの貴重な書状が保存されています。これは、清和源氏の名門で「小笠原流弓馬術礼法」の師範として重んじられた小笠原家の格式の高さが示していると思われます。
今回、約20年振りの公開となる貴重な書状をご覧いただき、重要文化財の旧小笠原家書院や同家の御下屋敷に最近オープンした「小笠原長孝記念館」、小笠原氏の菩提寺である開善寺、同氏の居城・鈴岡城跡、そして飯田城主の小笠原秀政の正室である福姫の墓など小笠原氏ゆかりの地を巡りました。

8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」に徹底的に対抗した7代尾張藩主の徳川宗春、水戸光圀の甥で水戸藩3代藩主の徳川綱條など歴史上著名な藩主の書状をガラス越しでなく直にご覧いただきました。

ガイドの方の案内で書院内の構造や木組みなど興味深いお話をお聞きしました。武田信玄正室の三条夫人ゆかりの白木の輿など“すごい”文化財も展示されていました。

江戸時代、伊豆木小笠原家から分家した家は「御下屋敷」として武家屋敷の風格をとどめており、最近武具、刀剣を展示する「小笠原長孝記念館」としてオープン。館主から展示されている武具、刀剣についてお話しいただき、三階菱羊羹(小笠原家家紋)を抹茶といっしょに頂戴しました。

小笠原氏の菩提寺で、室町時代には京都・鎌倉の「五山」に次ぐ「十刹」に数えられた名刹です。飯田市美術博物館の織田学芸員の案内で、重要文化財の山門から本堂まで詳しい解説していただき、本堂ではご住職の案内で開山堂や見事な庭園をご案内いただきました。

中世、信濃守護職を務めた小笠原氏は、府中(松本)、松尾(飯田)、鈴岡(飯田)の三家の間で三つ巴の争いを繰り広げました。飯田市教育委員会の専門家の案内で、鈴岡小笠原家が拠った鈴岡城跡の縄張りを歩きました。壮大な空堀や土塁などが見事で、毛賀沢の谷を挟んで対峙した松尾城も遠望しました。

飯田城主・小笠原秀政の正室である福姫(登久姫)は、織田信長の長女である五徳姫と徳川家康の長男である松平信康の間に長女として生まれ、信長と家康の両雄を祖父に持つ稀有な血筋の姫として知られています。疱瘡にかかり、32歳で亡くなりましたが、その子孫は稀有な血筋のため、細川家、蜂須賀家など大大名の正室になるなど、その後の日本の歴史に多大な影響を与えました。

今回、尾張徳川家や水戸徳川家との書状を通じた交流の貴重な史料をご覧いただきました。18点ほどですが、小笠原資料館を所有・管理する飯田市にとって大変貴重な文化財であり、また江戸時代の大名、旗本同士の交流の実態を解明する上で貴重な史料であると思います。小笠原資料館には、この他に江戸幕府と旗本小笠原氏との関係に関わる文書や「小笠原流旧馬術礼法」の相伝に関わる「秘伝書」など、まだ広く知られていない貴重な史料が豊富に所蔵されています。旧小笠原家書院は、来年建築400年を迎える記念の年になります。是非、こうした貴重な史料を誇る伊豆木小笠原家に注目が集まると良いな、と思っています。今後も、飯田市が誇る小笠原氏に関する歴史的資源を活用したツアーを実施して参りたいと思いますので、その節は是非よろしくお願いいたします。

今回は、多くの方にご参加いただき誠にありがとうございました。

Staff ゆっきー

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