南信州の陣屋を巡る①(2/18)催行報告
令和5年2月18日(土)に、「南信州の陣屋を巡る①~高須藩 竹佐陣屋跡、旗本近藤氏陣屋跡、伊豆木小笠原氏陣屋と御下屋敷~」が催行されました。
江戸時代、南信州は大きな大名の領地がなく、飯田藩や高須藩の他、いくつもの旗本が細かい領地を分割支配していました。その旗本の屋敷が「陣屋」と呼ばれ、南信州にはいくつもの陣屋がありました。今回はその陣屋を巡るツアー第1回目として、飯田市山本地区、三穂地区にある陣屋を巡りました。ご案内は、地元の歴史に大変お詳しい山内尚巳先生にお願いしました。
旗本近藤氏は、5000石の在府旗本(江戸住まい)で、江戸時代を通じて伊那谷に散在する領地を山本陣屋にて家臣が支配しました。最初、「裸祭り」で有名な七久里神社を参拝し、陣屋跡に残る見事な石垣を見学しました。江戸時代以降、現在まで陣屋跡にお住いの御当主・近藤政彰さんから織田信長の側近である堀久太郎秀政の子を祖とする近藤家の歴史などについても大変興味深いお話をお聞きしました。
高須藩は、尾張徳川家の唯一の分家(高須松平氏)で、幕末には最後の会津藩主として薩長軍と戦った松平容保(かたもり)など「高須四兄弟」を輩出しました。陣屋跡は、石垣の一部のみ残っているだけですが、参加された皆さんは話には聞いていたが、初めて訪れた方が多かったようです。高須藩は3万石の大名で、美濃本巣郡高須(岐阜県海津市)を藩庁に置き1万5000石を、伊那郡1万5000石は竹佐陣屋にて代官が支配しました。
竹佐陣屋からほど近くにあり、観音寺は高須藩主代々の位牌を祀る位牌堂があり、今回は拝観することができませんでしたが、高須藩の家紋「菊輪に三つ葉葵」があしらわれた立派な位牌が祀られています。隣の伊奈神社には立派な人形芝居の舞台があり、この地の人形浄瑠璃文化の片鱗を感じることができました。
飯田市三日市場の運動公園入口にある老舗割烹にて豪華な和食を堪能しました。宴会などの団体向けは勿論、日常から日替わり定食など個人的に楽しめるお薦めの和食店です。
飯田市山本久米にある古刹で、奈良の大仏や国分寺・尼寺の建立で知られる聖武天皇の皇后・光明皇后ゆかりの寺で行基が開いたとも伝わります。山門は高須藩竹佐陣屋の移築門で、高須藩の家紋「菊輪に三つ葉葵」があしらわれていました。また、山内先生から古代寺院としての光明寺の歴史や古代東山道のとの係わりについて興味深い話を聞きました。
交代寄合の旗本として伊豆木1000石の地を治めた伊豆木小笠原家。旧小笠原家書院はさすがに見事の一言、また今回初めて訪れた方がほとんどだったかと思いますが、書院のすぐ下にある「お下屋敷」を訪れました。江戸時代に小笠原家から分家した家で、甲冑や武具、刀剣などを展示していました。今回は、特別にお座敷に非毛氈を引いていただいた特別席にて、小笠原三階菱をあしらった羊羹と呈茶を頂戴しました。また亭主の方から、こうした貴重な武家屋敷の活用について熱心なお話を伺いました。大変ありがとうございました。
南信州は、他の地域にあるような大きなお城などはありませんが、江戸時代細かく領地が細分化され、旗本の陣屋などが点在していた特徴があります。こうした陣屋や陣屋跡は、南信州にとって大事な歴史資源だと思います。今回訪れた陣屋以外にも、知久氏、座光寺氏など交代寄合旗本陣屋や飯島陣屋などまだまだ訪れる場所がありますので、次回「南信州の陣屋を巡る②」として企画いたしますので、その際は是非ご参加ください。
今回は、多くの方にご参加いただき誠にありがとうございました。
Staff ゆっきー