“塩の道”秋葉街道「青崩峠」の古道を歩く(7/17・24)催行報告
“塩の道”秋葉街道「青崩峠」の古道を歩く(7/17・24)
「期間限定」に関するレポート
令和4年7月17日(日)と24日(日)に「“塩の道”秋葉街道「青崩峠」の古道を歩く」が催行されました。
今回なかなか訪れることのできない秋葉街道「青崩峠」を訪れるツアーを企画したところ、多くの方の参加申込みがあり、企画の際は17日(日)でしたが、翌週の24日(日)に追加ツアーを設けて2回実施しました。遠山郷を特徴づける中央構造線、また中央構造線の花崗岩側の破砕帯が浸食によりV字型に削られてできた「青崩峠」など、専門の坂本正夫先生のご案内で訪れました。バスの中や現地では、ガイドの先生のユーモアたっぷりの興味深い話に参加された皆さんとても興味・関心を持ってお聞きになっていました。ご参加いただいた皆様、また熱心にご案内いただいたガイドの先生、大変ありがとうございました。
兵越峠は信州遠山郷と遠州水窪町の境にある国境の峠で、名前の由来は武田信玄の「兵が越えた峠」とも、また木材の伐り出しに関わる「ヒヨウ」の人達が越えた峠からとも言われています。
兵越峠を越えて遠州水窪町側の「塩の道」秋葉街道の看板のある登り口から「山ビル」対応をして青崩峠に向かいました。苔むした風情のある石畳道の坂道をゆっくり歩きました。
今回のツアーの目的地である青崩峠に到着です。遠州側は山々の峰々が遠くまで見渡せました。坂本先生から青崩峠について詳しい説明をお聞きし、信州側に少し降りて実際の「青崩れ」の斜面を見学しました。江戸時代の遠山地震で崩落した「青い」がれ場はとても印象的でした。
青崩峠の登り口の下にある「足神神社」。宮司の守屋さんはなんと小さいころ飯田市の大久保町に住んでおられたそうで飯田との縁が濃い方でした。鎌倉5代目執権・北条時頼の由緒や青崩峠の貴重なお話をお聞きしました。
「青崩峠」と言えば、南信州の方なら誰でも耳にしたことのある有名な峠ですが、実際に訪れることは少ない場所です。今回、専門の先生の案内で中央構造線や地質、鉱物など貴重なお話を聞きながら訪れることができました。想い出に残る貴重なツアーになったのではないかと思います。なお、24日(日)の際は、アクシデントがあり参加者の方々にはご迷惑をお掛けしました。改めてお詫び申し上げます。
この度は、当ツアーにご参加いただき誠にありがとうございました。
Staff ゆっき~