飯田城の惣構え・惣堀跡を辿る(4/3)催行報告
飯田城の知られざるストーリーを紐解く②
飯田城の惣構え・惣堀跡を辿る(4/3)「期間限定」に関するレポート
令和4年4月3日(日)に「飯田城の惣構え・惣堀跡を辿る」が催行されました。今年の秋には、飯田市美術博物館の特別展「城下町飯田と飯田藩」が開催される予定で、今回のツアーもその関連事業として実施することになりました。
城下町を巡る前に、今回のガイドである今村さん(飯田市美術博物館評議員)から飯田城や城下町の特色について話を聞きました。豊臣氏支配の影響を受けた城下町建設、それに続く徳川氏支配下での城下町建設の特徴などとても興味深い話でした。
飯田城の正門は追手門ですが、罪者などを場外に出す役割を果たした「不明門(あかずのもん)」の位置を確認しました。
旧不明門から谷川線に下る道近くには殿様の通る「御成道」があり、とても深い「赤須堀」も確認できました。「くつわ小路」は二本松への道沿いにできた古い町並みで、昔の面影が良く残っています。
旧城下町の面影が残る仲ノ町の「春草通り」には、安東貞美(台湾総督)、菱田春草など近代以降の偉人の出身地が集中しています。菱田家は春草だけでなく各分野に傑出した人物を輩出したことがガイドの話から理解できました。
春草通りから旧飯田測候所までは散策に最適な道が整備されています。普門院跡、天満宮、糸桜を見学した後、旧日本松遊郭のあった通りを抜けて旧飯田測候所に到着し、桜の旧標準木や旧測候所の建物を見学しました。
旧飯田測候所から柳田國男旧宅跡を見学し惣堀跡を辿りました。惣堀は飯田城のいわゆる外堀で城下町を囲むように築かれました。惣堀の内側には、黄梅院、正永寺、専照寺など飯田城主の指示で堀に沿って移住させられたいくつもの寺が配置されています。見頃を迎えた桜がとても目に映えました。
午前中、飯田城下町をガイドさんの案内でだいぶ歩きました。昼食は、飯田の老舗割烹「はやふね」にてミニ懐石をご堪能いただきました。最後は、抹茶と和菓子が提供され春を感じるメニューだったのではないでしょうか?
ガイドさんの大変詳しい案内で飯田城址跡を散策しました。巨大な石灯籠には、柳田國男をはじめ錚々たる人物の名前が刻まれていました。
柏心寺は、元は上伊那の宮田村から転居した由緒ある浄土宗の寺で、山門は江戸時代前期の建築で飯田市内でもかなり古い山門とのことです(飯田市有形文化財)。山門をくぐった後、飯田市を代表する文化人(菱田春草と日夏耿之介)の墓参りをしました。
長久寺の山門は、飯田堀家の祈願寺であった普門院の山門を移築した門とのことです。本堂では、普段は拝観することのできないご本尊を拝観し、引き続き代々の飯田藩主の位牌を祀る「位牌堂」も今回特別に拝観させていただきました。長久寺の上段にある「飯田堀家墓所」では、歴代藩主の墓所を拝観させていただきました。
阿弥陀寺の千体仏観音堂は、飯田藩主・脇坂安政が亡父である脇坂安元の菩提を弔うために建立した観音堂で、今回特別に内陣を御開帳いただき、千体の観音様を拝観させていただきました。境内にある「阿弥陀寺の枝垂れ桜」は、ほぼ満開で見事の一言でした。
今回、「飯田城の惣構え・惣堀跡を辿る」をテーマに、飯田城下町をだいぶ広く巡りましたが、ガイドの今村さんが話させる飯田城や城下町に関する話がとても興味深く、今村さんの知識の深さには驚かされました。また、明治初期の飯田城の解体や飯田大火などにより、飯田城や城下町は昔の面影が失われてしまいましたが、ゆっくり専門のガイドの方の話を聞きながら散策すると、飯田城・城下町の深い歴史についてより深く理解することができると思いました。今年は、飯田市美術博物館の特別展「城下町飯田と飯田藩」に関係して、年間を通して飯田城・城下町に関する様々な取り組みが行われますので、こうしたツアーもまた企画して参りたいと思います。
今回は、多くの方にご参加いただき誠にありがとうございました。
Staff ゆっきー