“渋沢栄一とともに” 日本の近代化の礎を築いた伊那谷の巨星たち(7/3)催行報告
「“渋沢栄一とともに” 日本の近代化の礎を築いた伊那谷の巨星たち」(7/3)
「期間限定」に関するレポート
令和3年7月3日(土)に”南信州ふるさと再発見の旅” 「“渋沢栄一とともに” 日本の近代化の礎を築いた伊那谷の巨星たち」が催行されました。今年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一。日本最初の証券取引所を設立し、500以上の会社の創立に携わり、「日本資本主義の父」と呼ばれています。今回のツアーは、この渋沢栄一とともに日本の近代化の礎を築いた伊那谷の3人の偉人、田中芳男(飯田市出身)、田中平八(駒ケ根市出身で飯田の商家に養子入り)、今村清之助(高森町出原出身)のゆかりの地を訪ね、その足跡を辿るツアーです。今回、3人の足跡や関わりに大変詳しい松上清志先生(前高森町歴史民俗資料館長)に同行していただき、バス内でパワーポイントを利用してその都度説明していただきました。
後藤三右衛門は、3名の方とは経歴が別ですが、同じく江戸時代の末に、江戸幕府の金座御金改役に就任し、「天保通宝」を鋳造し、老中水野忠邦が実施した天保の改革では「水野の三羽烏」と称された人物です。飯田市大横町の生家跡にそれを示すのは説明看板のみです。ガイドの方の案内で、同じ大横町にある「飯田最古の道標」も見学しました。
飯田警察署の隣の余り目立たない場所に田中平八のゆかりの地を今に示す「天下の糸平碑」があります。この碑は、日本商工会議所会頭で外務大臣の藤山愛一郎の書で、この場所が田中平八の邸宅であったことを示す石碑です。飯田警察署、飯田創造館を合わせた広大な土地が田中平八の屋敷だったそうです。
飯田市の中心市街地の中央公園(セントラルパーク)の前に、田中芳男と弟の田中義廉の巨大な顕彰碑が建っています。ガイドさんが顕彰碑に刻まれた足跡を丁寧に全文読んでくださいました。
田中芳男について大変詳しい青木隆幸先生(飯田市美術博物館専門研究員)から渋沢栄一と田中芳男の関係についてお話を聞きしました。二人の面識は定かでないこと、また田中芳男の功績や評価に関する興味深く、また心に染み入る感銘深いお話でした。
今村清之助が亡くなった後、清之助の事績をまとまた書が作成されますが、その序文を渋沢栄一が書いており、その貴重な資料を館長さんの解説で見学しました。その他に、今村清之助と親交があった外務大臣・陸奥宗光の揮毫も見学しました。館長さんの熱心なご案内に今村清之助の功績にすごさに感銘を受けました。
地元のお母さん達の手作り料理が評判の店で、美味しい手作り弁当をいただきました。元は「蘭ミュージアム」があった場所で、今はカフェ、ブルーベリー狩りなどを中心に「パノラマパーク」として広く活用されています。
駒ヶ根高原の大沼湖畔にはひっそりと佇む「天下の糸平」こと田中平八の生誕郷の石碑を見学し、隣接する駒ヶ根郷土館と旧竹村家住宅も見学しました。郷土館は旧赤穂町役場を移築した大正浪漫漂う建物で、町議会の議場などとても立派な建物です。旧竹村家住宅は、江戸時代の名主さんの住宅で、人の入口と馬の入口が分かれており、向かって一番左側の入口は、侍など身分の高い人が出入りした玄関もありました。屋根は茅葺で、建物は国の重要文化財に指定されています。
田中平八は、旧三州街道(国道153号)の上穂宿、赤須宿で生まれましたが、今は駒ヶ根郵便局の入口に建てられた記念の石碑のみです。多くの方が出入りする郵便局ですが、今ではその人物や功績について知る人は少ないようです。
中垣館長さんのご案内で館内を見学しました。入口にある全国各地の代表的な紬や織物の展示にはまず「圧巻」の一言でした。数少ない田中平八の貴重な遺品も展示され、パワーポイントで館長さんから田中平八の功績、生涯について詳しいお話をお聞きしました。蚕の巨大模型には度肝を抜かれましたが、体にある黒い斑点は呼吸器官であること、蚕はもちろん交尾して子孫を残しますが、交尾したまま離れず死んでしまうものもあるそうで、雄と雌を離す(割愛)が必要になることもあるそうです。とても興味深いお話をいただき、大変ありがとうございました。
今回は、大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一と同じ時代に生き、渋沢とともに日本の近代化に尽くした伊那谷出身の3名の偉人の足跡を辿りました。一日だけ理解するのは大変ですが、ガイドの松上先生、各所のガイドさんのお話を聞き、3名の人物の偉大さがだいぶ理解できたのではないかと思います。ガイドの皆さん、大変ありがとうございました。これから大河ドラマも明治時代に入り、伊那谷の3名の偉人も、もしかするとドラマに登場するかもしれません。是非期待したいと思います。
今回は、多くの方にご参加いただき大変ありがとうございました。
Staff ゆっきー