謎の名族“信濃源氏”片切氏の痕跡を辿る(11/5)催行報告
南信州・中世の名族探訪シリーズ①
謎の名族“信濃源氏”片切氏の痕跡を辿る(11/5)
「期間限定」に関するレポート
令和2年11月5日(木)に”南信州ふるさと再発見の旅”~ 謎の名族“信濃源氏”片切氏の痕跡を辿る~が催行されました。今回は15名の方にご参加いただきました。参加された皆さん大変ありがとうございました!今回は、この南信州の歴史や考古学などに大変詳しい元松川町教育委員会の酒井幸則さんにツアー全体のガイドをお願いしました。
名子城跡は片切氏から分派した名子氏の居城です。城跡の突端部にて、平安時代末期に起こった「保元・平治の乱」で源義朝・義平親子の家臣として活躍した名子氏の祖・片切小八郎景重の活躍の物語を酒井さんからお聞きしました。名子城跡は周りを土塁で四角く囲んだ比較的わかり易い構造(縄張り)で、堀と土塁はとても見応えがありました。
船山城は片切氏の本城と伝えられ、城跡の真下に広がる片切郷(田島)から船を伏したように見えることから「船山城」と名付けられました。城跡は、松川町地籍の平坦な部分と中川村地籍の細長い山城部分から構成され、長野県の史跡にも指定されています。
船山城跡に隣接する御射山神社は、なんと言っても見事な御柱には驚かされます。そしてこの神社は、旧片切郷七か村(片切町・上片桐・七久保・小平・田島・前沢・葛島)の氏神として崇拝されており、その範囲は現在の松川町・中川村・飯島町の3町村にまたがっています。御射山神社の見学の後は、片切氏を開基とする瑞応寺(臨済宗妙心寺派)です。見事な山門から伊那谷でも最大規模を誇る本堂などを眺めました。徳川幕府の「御朱印寺」のため、屋根の上部には「三つ葉葵紋」があしらわれていました。白隠禅師逗留の寺としても有名ですね。
今回、中川村公民館長で、「片桐氏発祥之地」石碑の建立(昨年)にも中心的役割を担われた片桐充昭さんにご案内いただきました。片切郷に土着した源(片切)蔵人大夫為基が在郷名の「片切」を名乗り、周辺の地に同族を分派していった歴史を体感することができました。
船山城跡のすぐ下段にあり、隠れ家的存在の「地鶏家 一志」さん。ご主人が地鶏にこだわり、歯応えのあるしっかりした肉質の地鶏には定評があります。今回は、地のもの満載で、ボリュームたっぷりの手作り弁当をいただきました。
片切氏は、伊那谷の中部地域に多くの分家を派出し、飯島郷に拠点を構えた飯島氏の居城である飯島城跡を飯島町教育委員会の丸山さんの案内で訪ねました。飯島城は広大な城域を持ち、特に東西の長さには驚かされます。今回は、国道153号と天竜川の間に築かれた部分を見学しましたが、丸山さんのお話では、さほど多くもないであろう飯島氏一族とその家臣団がこの広大な城域をどうやって守ったのか、また領民を駆使してこの巨大な城をどのように造ったのか、飯島城を含め山城には多くの謎を秘めているようです。最近の研究では、中世の城は領民がいざという時に立て籠もる「避難所」のようなもので、避難所であれば領民も納得して領主である飯島氏の指示に従ったのではないかと考えられているようです。また今回、飯島氏が創建した西岸寺を正門からではありましたが、拝観させていただきました。
飯島町と言えば飯島陣屋が有名です!飯島城跡に続き、飯島町教育委員会の丸山さんにご案内いただきました。丸山さんによれば、飯島代官といっても実は江戸幕府の少禄の旗本だったそうで、常に飯島陣屋にいるわけではなく、江戸住が多かったようで、また陣屋の職員も数人と大変少なかったそうです。再現された陣屋とはいえ、江戸時代にタイムスリップしたようで、とても興味深い内容でした。
ツアーの最後には、“秋の味覚”飯島産の栗を使った菓子で人気の「信州里の菓工房」で買い物を楽しみました。隣接する道の駅「花の里いいじま」にも足を延ばしている方も多くいました。
今回のツアーは、「南信州・中世の名族探訪シリーズ」の第1回目として、伊那源氏として広く分派し、伊那谷に多くの足跡を残した片切氏を取り上げてその足跡を訪ねました。多くの謎に包まれた一族ですが、その一端に触れていただけたのではないかと思います。南信州には、中世に活躍した小笠原氏、知久氏、下條氏、松岡氏など多くの名族が存在しており、今後も引き続き「南信州・中世の名族探訪シリーズ」を企画・実施していきたいと思いますので、その際は是非ご参加ください。今回は、多くの方にご参加いただき大変ありがとうございました。
Staff ゆっきー