遠山地変と埋没林と森林鉄道
■梨元ていしゃばにて集合
38年前の機関車・客車が待っていてくれた。
秋晴れの空は、まだ紅葉は早いものの山々に生えてどこまでも青かった!
■池口登山入り口付近 高台にて
赤石山脈への降雨は、北又沢から南の易老沢までを本谷に集めていっきに流れ下る。
近年の遠山景気は奥地天然林の伐採によるもの、森林鉄道を敷いてS44年まで搬出を続けた。
広大な伐採跡地は人工林へと代わり、保水力の低下で山腹崩壊が起因するとも考えられ
大小の土石流災害が繰り返し発生している。(寺岡先生資料より)
■埋没林の痕跡を見に川へ降りる
このあたりはごつごつとした石で覆われている。いっきに流れた土石流が読み取れる。
大きな石の下から突き出ている埋没林のひとつを発見!なるほど・・・。
帰り道みんなで胡桃を拾った。持ちきれないので帽子にひと工夫・・
さすが先生グッドアイデア!
S30年代から現在に至る4枚の貴重な航空写真を見せていただく。
遠山川の川筋がよく解りみんな真剣。まじ~ヘリコプターに乗って自然塾をやりたいな~~~~!!
■殿町の茶屋
笑顔の素敵なおばちゃん!お昼時に寄ったため、美味しい手作り料理を
たくさんいただいてしまった・・・ご馳走様でした。
そば饅頭も作りたてはもっちりとしていてなんとも美味しかった!
その人の手によって生まれる食べ物はその人のこころの味がスルゥ・・・。
昼食はかぐらの湯でおすすめ「鹿丼定食」を食べた!
鹿は臭みがまったくなく淡白で美味しい味付けがしてありお腹いっぱいになった!
■南信濃自治振興センター
中央構造線に沿って発生した地変年代の残る記述は1718年遠山地震のみである。
今から1300年前の遠江地震の証人である埋没林を観察し、
年代測定と検証を行った資料館となっていた。なんて素敵な空間なんだろう!
大きく開いた一面の窓が気持ちいい!
年輪年代法により西暦714年に埋没したことが判明したヒノキの株。
714年 1718年 そうなると次は 2700年頃に・・・
遠山地域は、中央構造線に沿う破砕帯、変形した地質を特徴としている。
そのため地震や大雨で山が崩れたり土石流が発生したりします。
山国の暮らしは災害とは切り離せません。
遠山大地変から何を学び、どのような教訓を引き出し未来へどう伝えていくのか
をみんなで考えていかなくてはなりません。(資料館パネルより)
■林道赤石線分岐
ここから約8キロのコース、遠山川沿いの林鉄跡を歩いて梨元へと向かう。
途中のナガトロ橋への道は通行止めとなっていた。
木々の間から見える遠山川はものすごい勢いで灰色の水量を蓄えていた。
ほぼ垂直に滑車が・・・その周りには茶畑や野菜畑が作られている。
過酷な生活ぶりがうかがえる。たくましい人々が生きているのだ。
しかし、災害の度に山が崩れて人々は非難を強いられた。
それを契機に住み慣れた土地を離れざるを得なかった厳しい現実。
多くの人々がこの地から居なくなった。
赤い実が落ちていた。食べられるということでおそるおそる口に運んだ!
トロッと甘くトロピカルな香りがした・・・「いぬかや」の実だという。
湯ノ沢から鉱泉を引いている五色温泉~目の神様目大神~二ノ瀬つり橋跡~
1940(s15)年に着工の遠山森林鉄道、豊富な森林資源開発のため1944~73年まで活躍、
暴れ川(遠山川)での運営は災害との戦いだった。
今日も遠山川は雨で増水、グレーに濁った水がゴーっと勢いよく流れている。
危険な爪あとを横切り・・ひたすら歩く。
ようやく梨元ていしゃばが見えてきた!
次回は~~「三遠南信道工事に伴い、秋葉街道どうするか・・
この先どうなるのか考えながら歩きたい」先生の熱い思いが次世代につながる・・・・。