今年度最終回となる5回目の南信州自然塾が3月14日に開催されました。
前回は秋葉道として、里を中心とした遠山郷を歩きましたが、今回は実際に秋葉神社に詣でました。
さすがに秋葉神社まで行くには行程的に厳しく、ほとんどマイクロバスでの移動となります。
雨の飯田から矢筈トンネルをとおって上村に出ます。ここから遠山谷沿いに
南信濃の和田に向かいます。前回の講座で旧道などを部分的には歩きましたが、
今回はバスで一気に通過です。青崩峠を右手に見ながらヒョー越峠を越えて、水窪に出ます。
上村からここまで秋葉道を来たわけですが、同時に中央構造線をたどることにもなりました。
水窪からは東の尾根に向かって登り、山住神社を目指します。途中には布滝があります。
布滝は、その名のとおり白い布を垂らしたような華麗な滝です。
この日は雨が降っていたためか、いつもより水量が多く、よりいっそうはっきり「布」になっていました。
秋には紅葉が美しいところだそうです。
山住神社に到着です。いったん弱まった雨も、標高が上がったせいか再び勢いを増し、
雪が混じり風も強くなって、とても寒くなりました。こま犬ならぬ山犬が山門を護っています。
境内に入ると杉の巨木が2本そびえ立っています。それぞれの周囲が9.2m、7m。
いずれも推定樹齢が1300年ということです。
この他にも神社の周囲には立派な杉の木が立ち並んでいます。
山住神社は、山の神様、山犬信仰の神様として古くから山間農家の信仰を集めています。
山犬とは狼のことで、山間部の農地に出没して作物を荒らす猪などの獣を退治する
神獣として、あるいは悪霊除けとして信仰を集めました。
社殿には、いたるところに葵の御紋をみることができます。
元亀3年(1572)三方ヶ原の戦いで武田勢に敗れた徳川家康は山住神社に逃れ、
さらに敵に追撃されたとき、この山全体に山犬の遠吠えが轟き、この奇声に驚いた敵は
退散して家康は難を逃れたといいます。
それ以来、この霊山を崇め、寄進、刀剣奉納を重ねたと伝えられます。
言い伝えの真偽は明らかでないものの、家康によって手厚く遇されたことは確かです。
秋葉神社は言わずと知れた火伏せの神。防火、鍛冶屋の神など秋葉講として
信者を集めてきました。秋葉山自体が御神体です。
バスから降りると、それまでの雨が雪に変わり、激しい風が加わって、
吹雪のようになってしまいました。
雪の中を参拝です。
境内には展望台もありましたが、吹雪のため何も見えませんでした。
晴れていればきっとすばらしい景色が見られたことでしょう。
秋葉神社の大鳥居。社方面はガスって見えません。これで秋葉様ともお別れです。
このころには雪も止んで、わずかに雨が降っている程度になりました。
来たときと同じ道を下ります。雨は完全には止んでいませんでしたが、
空がだいぶ明るくなってきました。
杉林の間から一瞬、遠州灘とそれに注ぐ帯のような天竜川を見ることができました。