去る、12月20日に平成20年度南信州自然塾第二回が行なわれました。
伊那街道を北上した道は、信州に入ってから三州に向かう道となり、「三州街道」と
呼ばれました。公道「中山道」に対して脇往還として庶民の往来が盛んであった
「三州街道」を街道脇に当時面影を訪ねて歩きました。
徳川家康が主要街道につくらせたという一里塚。塚には旅人へ一時の休息の場を
提供するよう成長の早い榎か欅が植えられたと伝えられています。
「三州街道」から「善光寺道」へ道標に従い「元善光寺」を目指します。
江戸時代、旅行が許されなかった庶民が寺社参拝であれば許されたことから
物見遊山を兼ねてお伊勢参りや善光寺参りに繰り出したとのこと。当時の人が
歩いた道を歩いてみます。
「元善光寺」に到着。
元善光寺は、602年(推古天皇10)に信州麻績郷(おみごう)(現在の飯田市座光寺)
の住人、本多善光が大阪の難波の堀から本尊を持ち帰りお寺を造ったのが
始まりと言われています。7世紀の初め、奈良時代より100年も昔の発祥と
いう伝承ですから、ずい分古いものです。